愛でる耳
- 2017/05/14
- 21:20
あらゆる生物の中で耳においては人のが一番造形としては美しいと思う。
かつて犬を飼っていた事があり、犬の耳もよく知っているが、
いかに人より優れた聴覚を持っていたとしても、
やはり造形という点で人には劣る。
魚にも耳はあるが、それは単なる穴である。
あの美しい造形を神が作り上げたと考えるだけで、歓喜にうち震えるものがある。
私が愛してきた女たちの耳は皆優れて美しい耳の持ち主で、
時に愛を囁きながらその耳の形を愛でる。
そっと指でなぞり、眺めていると、
焦れた女が愛を求めてくる。
私としてはそれより耳をいつまでも愛でていたいが、
そうもいかず、お勤めのごとくワンパターンに愛を繰り広げて見せる。
つまり私は女たちを愛していたのでなく、
女たちの美しい耳を愛していたのである。
美しい耳なら男でもいいのかというとそうではなく、
耳の薄っすらとした産毛は女特有のものであり、
男ではそうはならない。
それでいて付け加えるなら、
耳垢は乾燥していて、
きれいに掃除しているのがよい。
こんな執着心がいつか女より耳だけを愛し、
それならばいっその事、好きでもない女と愛を語り合うより、
どこかで見かけた美しい耳だけを見つめていればよいと思うようになった。
あの日、私は偶然美しい耳に出会った。
持ち主の顔には興味はなかったが、
若い女のようだった。
できればスマホで撮影しておきたいと思ったが、
さすがにそれは憚られた。
ただ毎日同じ時間に同じ車両にいるその耳を遠巻きに見つめるだけだった。
私がいつも通りその耳を眺めていると、
隣から割り込むように耳毛を派手に生えさせた好色そうな年寄りが前に見えた。
私のささやかな楽しみを台無しにして腹立たしかった。
年寄りを睨み付けて、私はいつもの駅で降りた。
ある日、私はいつものようにいつもの車両に乗る。
あの美しい耳はいつもの場所にいた。
それを程よい距離から眺め、私の慎ましい生活のただ一つの喜びに浸った。
しかし、私はあることに気付いた。
あの美しい耳に小さな光を見た。耳の持ち主はピアスをしていた。
今まで滑らかで傷ひとつなかった耳に何て事をするのだ。
私の、私だけの美しい触れることのない完璧な造形美を、小さな穴が台無しにして、つまらないものにおとしめた。
私の世界を崩壊させた、その愚かしい女に腹が立った。
許せない。
私はたまらなくなり、耳の持ち主の方へ人垣をかき分け近づいた。
――なぜ、ピアス開けたんですか!
女の顔は一瞬にした見知らぬ者の怒りに恐怖の色となった。
女は助けを求めて、隣に居た者へしがみついた。
隣に若い男がおり、おびえる女を見やり、そして私を睨みつけた。
―― おまえか、ストーカーは!
男は女を自分の後ろにやり、私に近づいた。
―― いつも俺の女をじろじろ見ていたのはおまえか!
あの耳を愛でる男がいたのか。
私はその存在に気付き、戸惑う。
考えれば当たり前のことである。
あの耳の持ち主と付き合っている男がいる。
私はただ外から見ているだけの人間なのだ。
一方的に私が見ているだけのものなのだ。
怒った男に私は胸ぐらをつかまれ、次の駅で引きずりおろされた。
私は警察官の前に突き出された。
――こいつが、彼女をストーカーしていた怪しい男です。
――違う、誤解だ。私はだたその女性の耳を見ていただけなんだ。
女が眉を顰める。
私のささやかな楽しみは人々に理解されず、
変態と意に反したレッテルを貼られる。
それは私にとって、最も崇高な愛である。
人に理解されにくい、ただそれだけの事。
苦しい、言葉の通じない異国にいるようだ。
逃げ出したい、この場から。
振り切って駆けだしたが、
すぐ警察官に取り押さえられた。
私はただ耳を愛していただけなのに、
そのことが罪になるとは思わなかった。
(1511文字)
かつて犬を飼っていた事があり、犬の耳もよく知っているが、
いかに人より優れた聴覚を持っていたとしても、
やはり造形という点で人には劣る。
魚にも耳はあるが、それは単なる穴である。
あの美しい造形を神が作り上げたと考えるだけで、歓喜にうち震えるものがある。
私が愛してきた女たちの耳は皆優れて美しい耳の持ち主で、
時に愛を囁きながらその耳の形を愛でる。
そっと指でなぞり、眺めていると、
焦れた女が愛を求めてくる。
私としてはそれより耳をいつまでも愛でていたいが、
そうもいかず、お勤めのごとくワンパターンに愛を繰り広げて見せる。
つまり私は女たちを愛していたのでなく、
女たちの美しい耳を愛していたのである。
美しい耳なら男でもいいのかというとそうではなく、
耳の薄っすらとした産毛は女特有のものであり、
男ではそうはならない。
それでいて付け加えるなら、
耳垢は乾燥していて、
きれいに掃除しているのがよい。
こんな執着心がいつか女より耳だけを愛し、
それならばいっその事、好きでもない女と愛を語り合うより、
どこかで見かけた美しい耳だけを見つめていればよいと思うようになった。
あの日、私は偶然美しい耳に出会った。
持ち主の顔には興味はなかったが、
若い女のようだった。
できればスマホで撮影しておきたいと思ったが、
さすがにそれは憚られた。
ただ毎日同じ時間に同じ車両にいるその耳を遠巻きに見つめるだけだった。
私がいつも通りその耳を眺めていると、
隣から割り込むように耳毛を派手に生えさせた好色そうな年寄りが前に見えた。
私のささやかな楽しみを台無しにして腹立たしかった。
年寄りを睨み付けて、私はいつもの駅で降りた。
ある日、私はいつものようにいつもの車両に乗る。
あの美しい耳はいつもの場所にいた。
それを程よい距離から眺め、私の慎ましい生活のただ一つの喜びに浸った。
しかし、私はあることに気付いた。
あの美しい耳に小さな光を見た。耳の持ち主はピアスをしていた。
今まで滑らかで傷ひとつなかった耳に何て事をするのだ。
私の、私だけの美しい触れることのない完璧な造形美を、小さな穴が台無しにして、つまらないものにおとしめた。
私の世界を崩壊させた、その愚かしい女に腹が立った。
許せない。
私はたまらなくなり、耳の持ち主の方へ人垣をかき分け近づいた。
――なぜ、ピアス開けたんですか!
女の顔は一瞬にした見知らぬ者の怒りに恐怖の色となった。
女は助けを求めて、隣に居た者へしがみついた。
隣に若い男がおり、おびえる女を見やり、そして私を睨みつけた。
―― おまえか、ストーカーは!
男は女を自分の後ろにやり、私に近づいた。
―― いつも俺の女をじろじろ見ていたのはおまえか!
あの耳を愛でる男がいたのか。
私はその存在に気付き、戸惑う。
考えれば当たり前のことである。
あの耳の持ち主と付き合っている男がいる。
私はただ外から見ているだけの人間なのだ。
一方的に私が見ているだけのものなのだ。
怒った男に私は胸ぐらをつかまれ、次の駅で引きずりおろされた。
私は警察官の前に突き出された。
――こいつが、彼女をストーカーしていた怪しい男です。
――違う、誤解だ。私はだたその女性の耳を見ていただけなんだ。
女が眉を顰める。
私のささやかな楽しみは人々に理解されず、
変態と意に反したレッテルを貼られる。
それは私にとって、最も崇高な愛である。
人に理解されにくい、ただそれだけの事。
苦しい、言葉の通じない異国にいるようだ。
逃げ出したい、この場から。
振り切って駆けだしたが、
すぐ警察官に取り押さえられた。
私はただ耳を愛していただけなのに、
そのことが罪になるとは思わなかった。
(1511文字)
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